検察審査員になっていた

去年の 11 月から 4 月まで検察審査員をしていた。以下、時系列で振り返る。

検察審査員に選ばれるまで

裁判所から分厚い封筒が届く。年金未納時の赤い封筒を思い出した。検察審査員の候補者になったことが書いてあった。

この封筒は 100 人に配られる。そこからさらに絞られ、11 人が審査員になる。

なので確率は 11 % かと思いきや、もっとずっと高い。70 歳以上は辞退が多いから。
(検察審査会制度Q&A > 検察審査員を辞退できる場合はあるのですか。)

もちろん 70 歳以上じゃなくても辞退の申し出はできる。
(検察審査会制度Q&A > 検察審査員(補充員含む)の負担が過重なものにならないよう,具体的にどのような措置が講じられているのですか。)

裁判員制度で現場の写真を見て急性ストレス障害になったという事例が過去にあったようで、自分も同じ場面に居合わせたらそうならない自信がなかった。小さい頃に鶏を絞める映像を見て卵料理が数年間食べられなかったことがあった。

実際にそのような事件を担当することはなかったし、そのような事件はそもそも検察審査会に回されなさそうだった。万一回ってきたとしても、事前に事務局の方にその旨伝えておけば、そのような事件を扱う日だけ欠席にしてもらうなど考慮してくれそうだった。

目を細めて見れば耐えられるかもと思ったことや、さすがに 11 人の中には選ばれないだろうと思っていたこともあり、辞退はしなかった。

審査員に選ばれた時

封筒を受け取ってから何ヶ月も経過して油断していたため動揺した。書面でのやりとりのみだったため現実感もなかった。

勤怠をどうすべきか会社に聞いたら有給の公民権行使等休暇ができた。有給か無給かは各企業の判断に委ねられるようで、すんなりと有給になってありがたかった。

審査初日から前期終わりまで (11月-1月)

検察審査員の日常がストーリー仕立てになっている DVD を見る。DVD が年代物なせいか何度か映像が止まって音だけ流れたりして緊張感があった。

その後前期(第3郡)の方たちと合流した。 (検察審査会制度Q&A > 検察審査員の任期はどれくらいですか。)

自己紹介の時間になった。第3郡の方たちは前の方の内容に被せていい感じの一言二言を交えた話をしていたが、自分は名前しか話せなかった。

自己紹介が終わり、その日は事件の摘録を読んで終わった。

その後は月に 1-2 回程度出席し、そのたびに摘録を読み、意見交換をし、議決をしていった。

事件の内容を書けなくて残念だけれど、一つ一つが考えさせられるものだった。

前期最後の審査会の日はスケジュールを勘違いしていて、午前中から外出してしまった。事務局長から電話が来て勘違いに気づいた。午後からでも間に合うなら出席してほしい旨伝えられたが、その後審査員が集まったようでその日は欠席でよくなった。

その後さらに電話が来て会長やりませんか?と言われた。当時は知らなかったが、その日は次期会長を決める日でもあった。やりたい人が他にいないのであれば全然いいですよというようなことを言った。

後期 (2月-4月)

会長になった。審査会を良くも悪くもできる存在になってしまった。審査会には皆がわざわざ時間を割いて来ているので、今日も来てよかったと思うようなものにしたかった。

それには意見交換の時間の改善が必要と思った。改善案を事前に事務局に伝えたら反対されそう(事務局の立場的に)と思ったため、当日その場その場で事務局と審査員にやり方を説明しながらやっていった。

以前の意見交換の流れを書いておく。

  • 席ごとにマイクがおかれ、話す前にマイクのスイッチを ON にし、話し終わったら OFF にする。
  • 席順に一人 1-3 分程度話して話しの最後には結論を言う。
    • 例: "A, B の理由から{不起訴{相当,不当},起訴相当}だと思います"

これは自分から見て以下のような問題があった。

  • 会話しづらい
    • 結論を話し終わるまでは話の途中のため意見を挟みづらい。
    • 結論を話し終わった後はその人の中で結論が出てしまっているため特に反対意見が言いづらい。
  • 同調圧力がかかりやすい
    • 例えば不起訴相当の結論が続くと他の結論が言いづらい。
    • やがて『同調圧力によって決まった結論』に合う理由を探す作業になっていってしまうようになる。
      • 具体的には "A, B の理由から不起訴相当だと思います" の A, B を摘録から探す作業になってしまう。
  • 席順が後になるにつれて無力感が強まりやすい
    • 席順が後になるにつれて結論も理由も言い尽くされていて話すことがなくなってしまう。
    • やがて席順が後と判明した時点で資料を読むモチベーションが下がっていってしまうようになる。
      • その場で席順が前の方々の意見をまとめれば形になってしまうため。

これらの問題を解決したかった。

会話しやすくするため、おもむろに部屋の中央に椅子を並べ始めた。議決でしか使わなかったホワイトボードも中央に持ってきた。さあみなさん近くに集まって、事件についてもっと気軽に話をしましょうと人を集めようとしたが、審査員の方から (COVID-19 が流行っている) このようなご時世にそのように集まるのは間違っているという強い意見があった。

結局私一人が中央にいる状態になったが、それだけでも話す方の目線が変わった。今までは基本的にはマイクの方を向いて時折横目でこちらの部屋奥の議長席を見るという感じだったのが、マイクは使いつつもまっすぐこちらを見続けるようになった。

その状態でランダムに指名していくというのをやった。iPhone アプリでサイコロを振って出た目と席順が一致する人に、今回の事件に関係することでもそうでないことでも何でもよいので自由に話してもらった。想像以上に自由に、活き活きと、楽しそうに、自身の境遇や内心思っていることなど赤裸々に語られた。自由すぎて事務局が困っていた。全体の雰囲気はすごくよくなった。

そんなことを確か 45 分間行った。

その後、意見交換の時間になった。『不起訴相当だと思いますというような結論は言わないでください』と念押しして始めた。同調圧力がかなり減ったし、発言量も増えた。『あれってどうしてなんでしたっけ?』というような質問の時間も増えた。発言者は先程同様 iPhone アプリのサイコロを使ってランダムに指名していった。

そんな感じで初日は閉会した。他の審査員の方々の協力があってなんとかうまくいった気がする。仕組みだけ変えても参加者の協力が得られなかったら変わらなかった。

閉会後には事務局長と書類仕事を片付けつつ次の会の話をする時間があるが、その際に以下のようなことを教えてもらった。

  • 今はコロナということもあってあの形式になってしまって、他の審査会でも同じような悩みを抱えているところは多いこと。
  • 過去の期で意見交換のパターンについて、議長が最初に話すパターンや、議長が思いつきで指名するパターン、何もしなくても意見が飛び交いまくるパターン等あったこと。
  • 結論を話すようには言ってないけれど皆結論を話してしまって実はモヤモヤしていたこと。

そんな感じの日々を過ごしていた。

おわりに

他の審査員の方々、事務局の方々には大変お世話になりました。良い思い出ができました。

当時の事務局長には特にお世話になりました。ありがとうございました。